「だぁからっ! さっきっから言ってるじゃないっスか!」
放課後。時計の針が午後三時半を指した頃。一人の生徒の声が職員室中に響き渡った。よく通る声だった。
「オレはただっ、虹色学園の先輩達に絡まれただけでっ! 別に水瀬センセイに怪しまれるようなコトは、これっぽっちもしてませんって!」
声の主はまだ幼い少年だった。……いや、見方によっては少女にも見えなくはない。が、しかし、今年で十一歳になる男の子供だ。
淡い栗色の癖毛を肩口ギリギリまで伸ばしているせいか、それとも生まれ持った目鼻立ちのせいか、少年というより少女のほうがしっくりくるが……
とにかく彼はこの『白櫻(はくおう)学園』に通う小学五年生の少年だ。名は、長瀬輝(たける)。つい二週間前にこの学院へ転校してきたばかりの問題児であり、同時に、担任である水瀬にとっては抱えきれない悩みの種でもある。
「本当に、何もやっていないのね?」
「当たり前だろ? このオレ様に限ってそこらのチンピラ中坊とケンカなんかす……じゃなかった。僕はっ……とにかく僕は!そう易々と他校の先輩に暴力を振るような真似はしませんって!」
――今更言葉遣いを変えたってもう遅い。私にはバレバレなのよ。キミのその性分からして、中学生の不良相手に大人しく引き下がるなんてことは絶対にないってことくらい、二週間もこの子の担任をやっていれば嫌でも分かる。
とは言っても、どこにでもいるような、ごく普通の無邪気な生徒なら、たかが二週間くらい一緒に教室を過ごしたくらいじゃ、おおよその性格くらいしか掴めない。
何せ、思春期入りかけの一番難しいお年頃だ。そう簡単に距離を詰められるほど、子供心は簡単に攻略できるモノではない。けれど、この子の場合は一目見てすぐに分かったのだ。
少なくとも、この子がどこにでもいるような、ごく普通の無邪気な生徒じゃないことくらいはすぐに見て取れたのだ。
「本当に?」
「ホントだってば! 本当に僕は何もしてません!」
「本当に?」
「本当! 超ほ・ん・と・う!」
ここまで言い張る彼を、これ以上問い詰めたところで時間の無駄だろう。
水瀬は深く溜め息をつくと、たけるに『もう帰っていいよ』と伝え、手を振り彼の背中を見送った。今頃ざまあみろとでも嘲笑っているんじゃないのかしら。再び職員室の机に座るなり水瀬は頭を抱え込んだ。
彼……長瀬輝(たける)は表向きはどこにでもいるようなごく普通の子供だった。あえて違いを言うなら、普通の子供より頭が良くて、スポーツが得意な所くらいだろう。
だが、それでもこの学園ではかなり目立つ。成績優秀・運動神経抜群な彼の周りには、いつもたくさんの人だかりができる。男女問わずよくモテるのだ。それはただ単に、成績優秀児としてだけではなく、彼の見た目も絡んでいるはずだ。
栗色の中途半端な長さの髪といい、まるで人形か何かのようなぱっちりとした目、通った鼻筋、薄く形の良い桜色の唇。そして程よい肉付きの、白くきめ細やかな肌。どれを取っても美少年と騒がれるだけのことはあった。
そんな彼がどうしてまた、こんな平凡すぎる学園へ転校してきたのだろうか。誰もがそう思うだろう。何せ、彼は元・虹色学園初等部の生徒だ。電車でここから約一時間ほどの所にあるそこは、偏差値がここより50も高いエリート学園なのだ。こんな平凡じみた学園を選ぶより、そちらのがよっぽど彼には合っているだろう。
だがしかし、彼は自ら進んでこの学園に転校してきたのではない。『飛ばされた』のだ。
そう、彼がここへ飛ばされたのにはワケがある。彼には抱えきれない問題が山ほど存在する。一つは、口より先に手が出る性分。……まあこれはまだいい。二つ目に比べればまだ可愛いものだ。肝心なのは二つ目。二つ目のワケ、それは、彼が『ダーク・ネクロフィリア』と深く関わっていることだった。
放課後。時計の針が午後三時半を指した頃。一人の生徒の声が職員室中に響き渡った。よく通る声だった。
「オレはただっ、虹色学園の先輩達に絡まれただけでっ! 別に水瀬センセイに怪しまれるようなコトは、これっぽっちもしてませんって!」
声の主はまだ幼い少年だった。……いや、見方によっては少女にも見えなくはない。が、しかし、今年で十一歳になる男の子供だ。
淡い栗色の癖毛を肩口ギリギリまで伸ばしているせいか、それとも生まれ持った目鼻立ちのせいか、少年というより少女のほうがしっくりくるが……
とにかく彼はこの『白櫻(はくおう)学園』に通う小学五年生の少年だ。名は、長瀬輝(たける)。つい二週間前にこの学院へ転校してきたばかりの問題児であり、同時に、担任である水瀬にとっては抱えきれない悩みの種でもある。
「本当に、何もやっていないのね?」
「当たり前だろ? このオレ様に限ってそこらのチンピラ中坊とケンカなんかす……じゃなかった。僕はっ……とにかく僕は!そう易々と他校の先輩に暴力を振るような真似はしませんって!」
――今更言葉遣いを変えたってもう遅い。私にはバレバレなのよ。キミのその性分からして、中学生の不良相手に大人しく引き下がるなんてことは絶対にないってことくらい、二週間もこの子の担任をやっていれば嫌でも分かる。
とは言っても、どこにでもいるような、ごく普通の無邪気な生徒なら、たかが二週間くらい一緒に教室を過ごしたくらいじゃ、おおよその性格くらいしか掴めない。
何せ、思春期入りかけの一番難しいお年頃だ。そう簡単に距離を詰められるほど、子供心は簡単に攻略できるモノではない。けれど、この子の場合は一目見てすぐに分かったのだ。
少なくとも、この子がどこにでもいるような、ごく普通の無邪気な生徒じゃないことくらいはすぐに見て取れたのだ。
「本当に?」
「ホントだってば! 本当に僕は何もしてません!」
「本当に?」
「本当! 超ほ・ん・と・う!」
ここまで言い張る彼を、これ以上問い詰めたところで時間の無駄だろう。
水瀬は深く溜め息をつくと、たけるに『もう帰っていいよ』と伝え、手を振り彼の背中を見送った。今頃ざまあみろとでも嘲笑っているんじゃないのかしら。再び職員室の机に座るなり水瀬は頭を抱え込んだ。
彼……長瀬輝(たける)は表向きはどこにでもいるようなごく普通の子供だった。あえて違いを言うなら、普通の子供より頭が良くて、スポーツが得意な所くらいだろう。
だが、それでもこの学園ではかなり目立つ。成績優秀・運動神経抜群な彼の周りには、いつもたくさんの人だかりができる。男女問わずよくモテるのだ。それはただ単に、成績優秀児としてだけではなく、彼の見た目も絡んでいるはずだ。
栗色の中途半端な長さの髪といい、まるで人形か何かのようなぱっちりとした目、通った鼻筋、薄く形の良い桜色の唇。そして程よい肉付きの、白くきめ細やかな肌。どれを取っても美少年と騒がれるだけのことはあった。
そんな彼がどうしてまた、こんな平凡すぎる学園へ転校してきたのだろうか。誰もがそう思うだろう。何せ、彼は元・虹色学園初等部の生徒だ。電車でここから約一時間ほどの所にあるそこは、偏差値がここより50も高いエリート学園なのだ。こんな平凡じみた学園を選ぶより、そちらのがよっぽど彼には合っているだろう。
だがしかし、彼は自ら進んでこの学園に転校してきたのではない。『飛ばされた』のだ。
そう、彼がここへ飛ばされたのにはワケがある。彼には抱えきれない問題が山ほど存在する。一つは、口より先に手が出る性分。……まあこれはまだいい。二つ目に比べればまだ可愛いものだ。肝心なのは二つ目。二つ目のワケ、それは、彼が『ダーク・ネクロフィリア』と深く関わっていることだった。
| 23:06
「校長!なんであんな危険すぎる子をわざわざうちの学園に転入させたりしたのですか!?」
彼が転校して三日目の放課後。水瀬は校長室に飛び込むなりそう叫んだのをよく覚えている。
「彼はあの『ダーク・ネクロフィリア』の手下かも知れないんですよ!?」
――それは、昼休みに起こった出来事だった。
**********
まだ空は明るかった。職員室でうとうとしていた水瀬は、教え子の声に呼び起こされた。
「先生大変!長瀬くんが!」
何事かと思い、生徒の後を着いていくと、そこに彼は立っていた。校門を背に、ただ立っていた。それだけだ。
「どうかしたの?」
「別に。何もないですけど。先生のほうこそ、そんなに慌ててどうかしたんですか?」
「私はさっき、山田君に呼ばれてここまできたんだけど……あれ?山田くん?」
そこに山田の姿はなかった。あったのは、彼ただ一人だけだ。
「先生。あんまり僕をおちょくらないで下さい」
そう言い残すと、彼は校舎へ消えていった。いつもはにこやかな彼の目が、一瞬だけ鋭く鋭利な刃物のように見えたのは気のせいだと思った。思いたかった。
放課後、水瀬は山田を職員室に呼び寄せ、事の発端を問い詰めた。山田はキョロキョロと辺りを見渡してから、水瀬に耳打ちした。
「長瀬くんが、ダーク・ネクロなんとか……あっと、名前は忘れたんだけど、指名手配されてるヤバイおじさんに誘拐されかけてたんだ」
「……えっ!?」
嘘でしょう?とっさに声をあげていた。山田が言うには、たけるは、黒塗りの怪しい車に無理やり押し込まれていたらしい。
「それで僕は慌てて先生を呼びにきたんだ。だけど――」
そこには奴等の姿はなかった。そんなところだろう。
「けど……長瀬くんに、あいつに口止めされたんだ。『このことは絶対誰にも言うな』って。言ったらタダじゃ済まさないって脅されたんだ」
――ああ、だから山田くんはあの時、あの場所に居なかったのね。
そういえばあの時、一瞬だけ、長瀬くんの目がどこか遠くを睨んでいたのを覚えている。あれはそういう意味だったのか。
「それでも、私の言うことを聞いてここまで来てくれたのね。ありがとう。山田くん」
「いえ。ただ僕は……例え脅されようが何だろうが、長瀬くんの身に何かあったら嫌だから……それで」
怯えながら話す山田の目には涙が浮かんでいる。よほど彼が怖いのだろう。水瀬は震える教え子の身体をそっと抱きしめる。
「わかったわ。ありがとう。このことは私と山田くん、二人だけの秘密ね」
「はいっ!」
そう約束すると、水瀬は山田と指きりをした。バタバタと慌しく走り去っていく彼の背中を見送ってから、校長室へと向かった。そして、先ほどの会話に戻る。
彼が転校して三日目の放課後。水瀬は校長室に飛び込むなりそう叫んだのをよく覚えている。
「彼はあの『ダーク・ネクロフィリア』の手下かも知れないんですよ!?」
――それは、昼休みに起こった出来事だった。
**********
まだ空は明るかった。職員室でうとうとしていた水瀬は、教え子の声に呼び起こされた。
「先生大変!長瀬くんが!」
何事かと思い、生徒の後を着いていくと、そこに彼は立っていた。校門を背に、ただ立っていた。それだけだ。
「どうかしたの?」
「別に。何もないですけど。先生のほうこそ、そんなに慌ててどうかしたんですか?」
「私はさっき、山田君に呼ばれてここまできたんだけど……あれ?山田くん?」
そこに山田の姿はなかった。あったのは、彼ただ一人だけだ。
「先生。あんまり僕をおちょくらないで下さい」
そう言い残すと、彼は校舎へ消えていった。いつもはにこやかな彼の目が、一瞬だけ鋭く鋭利な刃物のように見えたのは気のせいだと思った。思いたかった。
放課後、水瀬は山田を職員室に呼び寄せ、事の発端を問い詰めた。山田はキョロキョロと辺りを見渡してから、水瀬に耳打ちした。
「長瀬くんが、ダーク・ネクロなんとか……あっと、名前は忘れたんだけど、指名手配されてるヤバイおじさんに誘拐されかけてたんだ」
「……えっ!?」
嘘でしょう?とっさに声をあげていた。山田が言うには、たけるは、黒塗りの怪しい車に無理やり押し込まれていたらしい。
「それで僕は慌てて先生を呼びにきたんだ。だけど――」
そこには奴等の姿はなかった。そんなところだろう。
「けど……長瀬くんに、あいつに口止めされたんだ。『このことは絶対誰にも言うな』って。言ったらタダじゃ済まさないって脅されたんだ」
――ああ、だから山田くんはあの時、あの場所に居なかったのね。
そういえばあの時、一瞬だけ、長瀬くんの目がどこか遠くを睨んでいたのを覚えている。あれはそういう意味だったのか。
「それでも、私の言うことを聞いてここまで来てくれたのね。ありがとう。山田くん」
「いえ。ただ僕は……例え脅されようが何だろうが、長瀬くんの身に何かあったら嫌だから……それで」
怯えながら話す山田の目には涙が浮かんでいる。よほど彼が怖いのだろう。水瀬は震える教え子の身体をそっと抱きしめる。
「わかったわ。ありがとう。このことは私と山田くん、二人だけの秘密ね」
「はいっ!」
そう約束すると、水瀬は山田と指きりをした。バタバタと慌しく走り去っていく彼の背中を見送ってから、校長室へと向かった。そして、先ほどの会話に戻る。
| 21:35
**********
「もしあの子が『ダーク・ネクロフィリア』と関わっているのなら、即刻退学させるべきです!」
しかし、この学園の初等部には退学制度など存在しない。存在するのは中等部以上からだ。そんなことは頭では分かっている。頭では分かっていても、口に出してしまうは人間誰しもよくあることだ。
「校長!」
「水瀬先生。落ち着きなさい」
「そんなこと言われたって……!」
「長瀬君が転校してきた日に、私、先生に言いましたよね?あの子は『普通の子』とは違うと」
校長はゆっくりとした口調で続ける。そのまなざしは、まっすぐに水瀬を捕らえて離さない。
「だからあの時、私はあなたに頼んだのです。どうかあの子を『普通の子』と同じように接してあげて下さいね、と。担任のあなたまでそんな態度じゃ、今は良くても、いずれあの子は登校拒否児になってしまう。虹色学園に居たときと同じように……」
彼、長瀬輝は元登校拒否児だった。本人から直接の理由は聞いていないが、小学三年生の頃からずっと、学校に来ていないらしい。それが『ダーク・ネクロフィリア』と関係しているのならば仕方のないことだ、水瀬はそう思った。
「私は、例えどんな境遇だろうがどんな生活環境で育った子だろうが、全て平等に接すること、それが私たち教師の役目だと思うのです」
――そんなのタダの綺麗ごとだ。綺麗ごとばかりじゃこの仕事はやっていけない。
「水瀬さん。まだあなたは若い。これからこの学校で学ぶべきことは沢山出てくるでしょう。その中には辛い事や悲しいこともある。けれど、それだけじゃない。辛い事や悲しいことがあれば必ず、それに見合った嬉しいことや楽しいことがやってくる。人生とはそういうものですよ」
――人生とはそういうものですよ。
あの時の校長の言葉を頭の中で呟いてみる。呟いたところで何もならない。けれど、このまま頭を抱え続けるよりはマシだった。
私は校長に期待されている。ただ単に、二一歳という若さで教師をやっているからではなく、試されているような気さえ感じた。けれど、それが何なのか自分では分からない。校長は一体何を私に求めているのだろうか。日の沈み始める窓を見ながら、水瀬は再びため息をついた。
| 21:41
一方、当のたけるはというと、担任の悩みなどおかまいなしに、それなりに学校生活を楽しんでいた。
「じゃあなー!」
「うんっ」
クラスの中でも目立つ、新品の青いカバンを背負うと、教室を後にした。教室を出るときに二人の男子生徒の会話が耳に入ったが、自分には関係ないとかぶりを振り、教室を出た。
「なあ宮田、知ってるか?またSATAN(サタン)が出たんだってよ」
「マジで!?」
「ああ。レインボータワーのど真ん中で、ナイトの連中と戦ってたって。朝のニュースでやってた」
「えーマジで!? いいなあオレも近くで見たかった」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。あんなの近くで見てたら殺されちまうかも知れないぜ? ナイトの連中にさ」
「それありえる! ありえる冗談すぎて笑えねー!」
ぎゃはははと馬鹿みたいに笑う同級生の声が廊下に出ても聞こえた。何が笑えないだ。思いっきり笑ってるじゃねえか。
――SATANか。また出たのか。
SATANとは、たけるが幼少期の頃から存在している化け物の呼び名だ。
いつから現れるようになったか詳しくは不明だが、黒と赤の衣装を纏い、蝙蝠のような大きな翼に大きな鎌を持つことからその名が付けられた。マスコミが勝手に付けた名前であって、本当の名前は誰も知らない。記憶が戻ればもしかしたら分かるのかも知れないと時々思うが、今更得体の知らない化け物の名前なんか知ったところで何にもならないのは分かっている。
しかし、SATANが現れただけならマスコミだってそんな大騒ぎすることはなかったはずだ。厄介なことに、奴はこの地に魔物(モンスター)まで引き連れてやってきた(と近所のおばさんが言っていたのを思い出した)のだ。
今までモンスターなんて、この街の子供は勿論、大人でさえゲームの世界やおとぎ話で見聞きした程度の知識しか備わっていない。そんな非力な連中が、奴等と対等に戦える術は勿論なかった。故に、このホワイトシティの街並みは、崩壊寸前まで追い込まれた。
――もっとも、その頃の記憶は今のオレにはないんだけどな。
| 21:43
そんな窮地を救うべく現れたのが、『ナイト』と呼ばれる特殊訓練を受けた戦闘兵だった。
彼らはモンスターを始末することで生計を立てている。彼らの給料が、たけるのおこづかいよりも高いのか低いのかは不明だが、彼らのお陰で街の平和が保たれているのは確かな事実だ。
――SATANにナイトにモンスター、まるで現実(リアル)の世界がバーチャルにでもなったみたいだな。
武装したナイトやモンスターを見かけるたびに、たけるは思う。もし自分がナイトだったらと考えたこともある。
――もしもオレがナイトなら『ダーク・ネクロフィリア』なんか一捻りなのに。
そもそもが、何故奴等が自分の命を狙うのかが未だ分からない。分かることと言えば、自分の過去の記憶と奴等が絡んでいることくらいだ。
そう、たけるには過去の記憶がない。正確には、生まれてから半年前までの記憶がないのだ。記憶を失う前の幼少期に、自分が何か重大な過ちを犯したせいで、奴等に命を狙われるようになったわけだが、それが何なのか思い出せない。早く思い出したい気持ちもある反面、思い出すことに躊躇う気持ちもある。どちらにしても、あまり楽しい過去ではないのだ。
上履きを下駄箱にしまうと、いつものようにスニーカーに履き替える。緑色をベースに黄色のラインが二本入ったそれは、三日前に買ったばかりで汚れ一つ目立たない。
「あっ長瀬くん」
昇降口の入り口付近で、女子に話しかけられた。同じクラスの神原光(ひかる)。たけるとは席が隣同士の彼女は、今日も頭に大きな赤いリボンを付けている。
「今日は一人なんだ」
「まあね」
「アンタにしては珍しいじゃない。いつもは千尋さんと一緒なのに」
「あいつならオトモダチと帰るんだってさ。男のトモダチ」
「ふーん」
ひかるの顔がわずかににやけた気がした。
「浮気されたってわけ」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ」
千尋とはそんな関係ではない。決して、ひかるが考えているようなやましい関係ではない。ただ、住んでいる家が一緒なだけだ。もっと詳しく言えば、千尋の家にたけるが居候しているだけに過ぎない。勿論部屋は別々だし、風呂に入る時間だってバラバラだ。一緒なのは食事をする時とテレステ(ゲーム機の名前)で遊ぶ時くらいでやましいことは何一つもない。
「あいつとはただの従姉弟だって、前話したろ?」
「うん。でもさ、その割にはアンタ、千尋さんの話ばっかしてるじゃない?」
「そうかあ?」
「うん」
そんなことはどうでもいい。どうでもいいことなのに、ひかるはやたらこういう話に突っ込んでくる。これだから女子は嫌なんだ。
「あんまり、調子に乗るんじゃないわよ?」
唐突に、彼女はそんなことを言った。
「はあっ?」
意味がわからなかった。が、すぐに千尋のことだと気付いたので言い返す。
「だからさあ、オレは別に千尋とは――」
「あいつらのことよ」
「え?」
「ダーク・ネクロフィリア」
その言葉に、どくんと大きく、心臓が脈を打った。まさかひかるの口からその単語が飛び出すなんて、これっぽっちも予想していなかったからだ。予想外の言葉に、たけるの鼓動は早まる。
彼らはモンスターを始末することで生計を立てている。彼らの給料が、たけるのおこづかいよりも高いのか低いのかは不明だが、彼らのお陰で街の平和が保たれているのは確かな事実だ。
――SATANにナイトにモンスター、まるで現実(リアル)の世界がバーチャルにでもなったみたいだな。
武装したナイトやモンスターを見かけるたびに、たけるは思う。もし自分がナイトだったらと考えたこともある。
――もしもオレがナイトなら『ダーク・ネクロフィリア』なんか一捻りなのに。
そもそもが、何故奴等が自分の命を狙うのかが未だ分からない。分かることと言えば、自分の過去の記憶と奴等が絡んでいることくらいだ。
そう、たけるには過去の記憶がない。正確には、生まれてから半年前までの記憶がないのだ。記憶を失う前の幼少期に、自分が何か重大な過ちを犯したせいで、奴等に命を狙われるようになったわけだが、それが何なのか思い出せない。早く思い出したい気持ちもある反面、思い出すことに躊躇う気持ちもある。どちらにしても、あまり楽しい過去ではないのだ。
上履きを下駄箱にしまうと、いつものようにスニーカーに履き替える。緑色をベースに黄色のラインが二本入ったそれは、三日前に買ったばかりで汚れ一つ目立たない。
「あっ長瀬くん」
昇降口の入り口付近で、女子に話しかけられた。同じクラスの神原光(ひかる)。たけるとは席が隣同士の彼女は、今日も頭に大きな赤いリボンを付けている。
「今日は一人なんだ」
「まあね」
「アンタにしては珍しいじゃない。いつもは千尋さんと一緒なのに」
「あいつならオトモダチと帰るんだってさ。男のトモダチ」
「ふーん」
ひかるの顔がわずかににやけた気がした。
「浮気されたってわけ」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ」
千尋とはそんな関係ではない。決して、ひかるが考えているようなやましい関係ではない。ただ、住んでいる家が一緒なだけだ。もっと詳しく言えば、千尋の家にたけるが居候しているだけに過ぎない。勿論部屋は別々だし、風呂に入る時間だってバラバラだ。一緒なのは食事をする時とテレステ(ゲーム機の名前)で遊ぶ時くらいでやましいことは何一つもない。
「あいつとはただの従姉弟だって、前話したろ?」
「うん。でもさ、その割にはアンタ、千尋さんの話ばっかしてるじゃない?」
「そうかあ?」
「うん」
そんなことはどうでもいい。どうでもいいことなのに、ひかるはやたらこういう話に突っ込んでくる。これだから女子は嫌なんだ。
「あんまり、調子に乗るんじゃないわよ?」
唐突に、彼女はそんなことを言った。
「はあっ?」
意味がわからなかった。が、すぐに千尋のことだと気付いたので言い返す。
「だからさあ、オレは別に千尋とは――」
「あいつらのことよ」
「え?」
「ダーク・ネクロフィリア」
その言葉に、どくんと大きく、心臓が脈を打った。まさかひかるの口からその単語が飛び出すなんて、これっぽっちも予想していなかったからだ。予想外の言葉に、たけるの鼓動は早まる。
| 21:46
「アンタ、あいつらと関係あるんでしょ?」
ひかるの目つきが厳しくなる。獲物を捕らえる魔物のような目だ。その目線から逃れるように、たけるは昇降口の先へと視線を流す。
「別に……何もねえけど」
「嘘よ」
ぴしゃりと、放つように彼女は言った。
「アンタ、あいつらとはどういう関係なの?」
一歩、また一歩と彼女は詰め寄る。反対に、一歩、また一歩と後ろへ下がるたける。
――何でこいつが奴等を知ってる? 何でオレが奴等と関わっていることを知ってる?
「じゃあ話題変えるわ。アンタは五歳のときに三日間『家出』した。そのちょうど一日目に、あたしのお兄ちゃんが殺された。そう、あいつらに。この二つは何か関係あるワケ?」
「知らねえよ」
「アンタは八歳のときにもまた『家出』した。それも三年間」
「知ら……」
――答えようがなかった。
「……何してたの? この期間」
――答えられるはずがなかった。
そもそもが、ひかるの言っていること自体が意味不明なのだ。自分には八歳の時の記憶すら残っていない。そんなこと、知る由もない。
「まさか三年間、何もしてなかったなんて言わないよね?」
かと言って、今ここで『実は記憶喪失でした』なんてバラしたところで後々めんどくさいことになるのは目に見えている。これ以上面倒事を背負い込むのはまっぴらだ。
「だから知らねえって――」
「正直に言いなさい!」
「――っ!」
あまりの剣幕に、思わず息を呑んだ。心臓が止まるかと思った。
――もういっそ、本当のことをバラしちまおうか。そんな気さえした。
普段はおしとやかな彼女が、まさかここまで奴等や自分の過去に執着しているとは考えもしなかった。ましてや彼女に実の兄妹が居て、自分が五歳のときに奴等に殺された話なんて、二週間彼女の隣の席に座っていたけど、聞いたことすらなかったのだ。
それどころか、自分が二回も『家出』していたなんて、夢にも思わなかった。確かに自分は居候という立場にあるけれど、千尋や千尋の母との共同生活には何の不満もなかった。あるとすれば、もう少し習い事を減らして欲しいと感じるくらいだ。
けれどもし、自分の過去にひかるや彼女の兄、それに千尋や千尋の母が関わっているのなら、いずれは自分が記憶喪失だということも話さなくてはならない。そう考えれば、今ここでひかるにバラした所で早いか遅いかの問題だった。
ひかるの目つきが厳しくなる。獲物を捕らえる魔物のような目だ。その目線から逃れるように、たけるは昇降口の先へと視線を流す。
「別に……何もねえけど」
「嘘よ」
ぴしゃりと、放つように彼女は言った。
「アンタ、あいつらとはどういう関係なの?」
一歩、また一歩と彼女は詰め寄る。反対に、一歩、また一歩と後ろへ下がるたける。
――何でこいつが奴等を知ってる? 何でオレが奴等と関わっていることを知ってる?
「じゃあ話題変えるわ。アンタは五歳のときに三日間『家出』した。そのちょうど一日目に、あたしのお兄ちゃんが殺された。そう、あいつらに。この二つは何か関係あるワケ?」
「知らねえよ」
「アンタは八歳のときにもまた『家出』した。それも三年間」
「知ら……」
――答えようがなかった。
「……何してたの? この期間」
――答えられるはずがなかった。
そもそもが、ひかるの言っていること自体が意味不明なのだ。自分には八歳の時の記憶すら残っていない。そんなこと、知る由もない。
「まさか三年間、何もしてなかったなんて言わないよね?」
かと言って、今ここで『実は記憶喪失でした』なんてバラしたところで後々めんどくさいことになるのは目に見えている。これ以上面倒事を背負い込むのはまっぴらだ。
「だから知らねえって――」
「正直に言いなさい!」
「――っ!」
あまりの剣幕に、思わず息を呑んだ。心臓が止まるかと思った。
――もういっそ、本当のことをバラしちまおうか。そんな気さえした。
普段はおしとやかな彼女が、まさかここまで奴等や自分の過去に執着しているとは考えもしなかった。ましてや彼女に実の兄妹が居て、自分が五歳のときに奴等に殺された話なんて、二週間彼女の隣の席に座っていたけど、聞いたことすらなかったのだ。
それどころか、自分が二回も『家出』していたなんて、夢にも思わなかった。確かに自分は居候という立場にあるけれど、千尋や千尋の母との共同生活には何の不満もなかった。あるとすれば、もう少し習い事を減らして欲しいと感じるくらいだ。
けれどもし、自分の過去にひかるや彼女の兄、それに千尋や千尋の母が関わっているのなら、いずれは自分が記憶喪失だということも話さなくてはならない。そう考えれば、今ここでひかるにバラした所で早いか遅いかの問題だった。
| 17:50
「……覚えてないんだ」
「……え?」
「オレ、生まれてから小四くらいまでの記憶がないんだ」
ほとんど呟きにしか聞こえない声で、そう言うのがやっとだった。頭の中が混乱していて、声に出すのがやっとだった。
「どういう……こと?」
いきなり隣の席の転校生に『僕は記憶喪失です』なんて話されたって、誰だってピンとはこないだろう。当たり前のひかるの反応に、少しばかり安堵する。
「どういうことも何も、そういうコト。じゃあな」
「あっ、ちょっと!」
待ちなさいとか逃げるんじゃないわよとかいう声を背にして、たけるは足早に校門を抜けた。逃げたと言えば逃げたのだが、彼女の質問にはしっかりと答えた。これ以上余計なことまでべらべら喋る必要はない。
――問題は、自分の過去だ。
自分の過去にひかるとの交友関係なんて存在しないと思っていた。しかし、彼女の話しぶりからして、彼女と自分との間に何らかの繋がりがあることだけは確かだ。
元々、ひかる自身そんな感情的になるタイプではなかった。付け加えれば、クラスでも有名な『男性恐怖症』の彼女が、自分から苦手な男子に近づいたり、プライベートにまで口を出すのは明らかにおかしかった。
――あいつなら、オレの過去を知っている。
もしかしたら、自分が『ダーク・ネクロフィリア』に追われるようになった手がかりも掴めるかも知れない。……いや、流石にそれはないか。それを知りたくて問い詰めてきたのは彼女のほうだ。
しかし、奴等の異常なまでのストーカーっぷりには、呆れ過ぎて反吐が出る。
追いかけっこは休みの日だけにしてくれといつも思うのに、奴等ときたらそんなことはおかまいなしに、学校だろうが塾だろうが平気で追いかけてくる。校門前のガードマンがいなければ、今頃タダの警察沙汰じゃ済まなかっただろう。ひかるは勿論、山田でさえ自分が奴等に狙われていることに気付いているのだ。他の生徒だって直接言いにまでは来なくても、陰で噂しているに違いない。
――オレにとって最高の小学生生活なんて、夢のまた夢だな。
最高でなくてもいい。ただ普通の小学生生活が送れればそれでいい。のんびりと授業を受けて、クラスメイトとわいわい騒ぐ。夕方になったら明日の給食のことでも考えながら家に帰る。そういう平和な生活を送りたいのだ。
――せめて奴等がいなくなればなあー。
ふと、ゲームセンターのポスターに目が留まる。レインボーシティにあるような大型チェーン店ではなく、個人経営の小さなゲーセンだ。通学路沿いにあるそこには、新作の格闘ゲームのポスターがでかでかと貼ってあった。いかにもプレイしてねと言わんばかりに、架空の美少女がウインクしている。
――B/Bの新作が出たんだ。
やりたい、と思った。
『BATTLE/BATTLE』、通称『B/B』と呼ばれるこのゲームは、巷で人気の格闘ゲームだ。たけるも数日前に友人の家でプレイしたことがあり、近いうちにソフトを借りようと思っていたところだ。
しかし、千尋の母に『寄り道禁止』ときつく言われている。おまけに今日はボディガードの中島がいない。一人で狭いゲーセンに入って、万一奴等に襲われたら逃げ場に困る。逃げ場に困るどころか下手したら一般市民まで巻き込みかねない。それだけは避けたいところだ。
| 21:53
――諦めて帰るか。……でもやっぱやりたい。
健全な小学生男子にとって、テレビゲームだのゲームセンターだの漫画だのは、ちょっとエッチな本と同じくらいの誘惑なのだ。いくら週四単位でボディーガードを雇っているたけるだって、そういうものに関心がないわけではない。むしろ大好物だ。
――ちょっとくらいなら、いいよな?
甘い誘惑が、自動ドアの奥で手招きしている。こっちへ来い、こっちへ来いと誘っている。誘いに乗ってはいけないと分かっているのに、気付けば自動ドアの前で停止している自分がいた。
――でも、万が一のことを考えると、ここは素直に帰るべきだよなあー。
入るか帰るか。選択肢は二つしかない。迷いがちな視線は再びポスター内の美少女に止まる。ポスター内には彼女の他に四人の青年キャラがいた。が、そんな奴等はどうでも良い。ウインクしている彼女が一番好みなのだ。
――新キャラなのかな? めちゃくちゃ可愛い。
金髪にピンクの髪飾りを付けている彼女は、顔も可愛いが、何より胸が大きかった。
二次元だからこそ実現できる、素晴らしい大きさだった。戦闘中に揺れる、彼女の豊満なバストを想像してみる。たまらない。
――決めた。やっぱり入ろう。
結局、美少女の誘惑には勝てなかった。色鮮やかな照明と、美少女のバストに誘われるかのように、たけるはふらふらと店内へ入っていった。
| 21:55
**********
どれくらい時間が経っただろう。ゲーセンから出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
厚い雲が空全体を覆い隠し、遠くで雷が鳴り響く。いつもなら沢山の人で賑わっている通りのはずが、今日は誰一人として見当たらない。
――やべえ、今日に限って傘持ってねえんだった!
今になって、今日の天気予報を思い出す。曇りのち雨。所により雷雨。
思い出したとたん、ああやっぱりあの時帰っておくべきだったと後悔した。高いところやお化け屋敷と同じくらい、たけるは雷が大の苦手なのだ。こればかりは、記憶を失う前から苦手だったと断言できる。
早く家に帰らないと。焦る気持ちが胸の中を支配する。早く帰りたい一心で、馴染みの通学路を走った。走ったつもりだった。
ドンッ!
全身が何かにぶつかり、地面に腰を打つ。
「いってえ!」
見上げると、男が一人立っていた。
「ちょっ! どこ見て歩いて――」
言いかけた言葉は、雷の音に掻き消された。
闇に溶ける漆黒のスーツ。黒いサングラス。頭から爪先まで黒ずくめの男。たけるは、この男たちをよく知っている。
――まずい。
咄嗟の判断で地を蹴る。男とは反対方向へ走る。力の許す限り全速力で走った。
――また奴等が現れた。
追ってきた銃弾が肩を掠める。下手クソ!そう罵ってやりたいところだけど、とてもそんな余裕はない。何せ、『奴等』はしつこい。一度見た獲物は逃さない。そういう方針なんだろう。ちらりと背後を見やると、どこから現れたのか、追っ手は五人に増えていた。
これだけ派手に騒いでいるのに、誰一人として見当たらないのは何故だろう。いつもなら犬を連れて散歩しているおばさんも、部活帰りの高校生の姿も見当たらない。それどころか、店や建物内に人がいる気配すら感じない。まるで時が止まったかのようだ。それがせめてもの幸いか。人がいたらいたでまた警察やナイトのご厄介になる。面倒事だけは避けたいところだ。
走って走って、走った先には公園が見える。確かその先には深い森が広がっているはずだ。そこでなら、奴等を撒ける。
――よし、突っ込むぞ!
雨足が強まる中、ずぶ濡れになる全身を振り絞って、たけるは森の中へと身を投げた――
どれくらい時間が経っただろう。ゲーセンから出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
厚い雲が空全体を覆い隠し、遠くで雷が鳴り響く。いつもなら沢山の人で賑わっている通りのはずが、今日は誰一人として見当たらない。
――やべえ、今日に限って傘持ってねえんだった!
今になって、今日の天気予報を思い出す。曇りのち雨。所により雷雨。
思い出したとたん、ああやっぱりあの時帰っておくべきだったと後悔した。高いところやお化け屋敷と同じくらい、たけるは雷が大の苦手なのだ。こればかりは、記憶を失う前から苦手だったと断言できる。
早く家に帰らないと。焦る気持ちが胸の中を支配する。早く帰りたい一心で、馴染みの通学路を走った。走ったつもりだった。
ドンッ!
全身が何かにぶつかり、地面に腰を打つ。
「いってえ!」
見上げると、男が一人立っていた。
「ちょっ! どこ見て歩いて――」
言いかけた言葉は、雷の音に掻き消された。
闇に溶ける漆黒のスーツ。黒いサングラス。頭から爪先まで黒ずくめの男。たけるは、この男たちをよく知っている。
――まずい。
咄嗟の判断で地を蹴る。男とは反対方向へ走る。力の許す限り全速力で走った。
――また奴等が現れた。
追ってきた銃弾が肩を掠める。下手クソ!そう罵ってやりたいところだけど、とてもそんな余裕はない。何せ、『奴等』はしつこい。一度見た獲物は逃さない。そういう方針なんだろう。ちらりと背後を見やると、どこから現れたのか、追っ手は五人に増えていた。
これだけ派手に騒いでいるのに、誰一人として見当たらないのは何故だろう。いつもなら犬を連れて散歩しているおばさんも、部活帰りの高校生の姿も見当たらない。それどころか、店や建物内に人がいる気配すら感じない。まるで時が止まったかのようだ。それがせめてもの幸いか。人がいたらいたでまた警察やナイトのご厄介になる。面倒事だけは避けたいところだ。
走って走って、走った先には公園が見える。確かその先には深い森が広がっているはずだ。そこでなら、奴等を撒ける。
――よし、突っ込むぞ!
雨足が強まる中、ずぶ濡れになる全身を振り絞って、たけるは森の中へと身を投げた――
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| 08:40